2005〜2008年
hashimoto [ アーカイヴ ]
‘00からSKBのPJは長期・大規模・地域恊働型を中心とするものにエネルギーを投下していった結果、都市部の生活や今日的な動きに関わる機会がほとんどなくなってしまった。小規模な組織故に多角的な活動には限界があるのだ。海・みなと関係の広報業務はさらにひろがりをみせ国交省の海の環境再生技術センターの広報誌及びWEB「ぷかぷかまんなか」(’05)の企画・制作及び大阪湾再生ニューズ「ぼちぼちいこか」(’06〜’07)、「尼ロック防災展示室計画」(’05)、大阪港埠頭公社の子ども向け見学ツール「コンテナ双六」などを手がけている。
アート系プロジェクトではサントリー次世代研究所との共同研究「mine プロジェクト」(’05)がある。この仕事は、個人の多様なアート評価の実態を捉える手法の実験などを通してアートへの新たなアプローチの可能性を検証する試みとして印象深い仕事だった。持続して取り組めば面白い結果がでたのではと思うが、多少難解だったため1回で終了。
「大阪駅開発パブリックスペース計画」(’07)は、アート導入を柱に大規模整備が進む大阪駅のパブリックスペースのありかたをハードソフト一体型で計画する大規模なプロジェクト。建築家青木淳氏に参加を要請し、多くの専門家の協力を得て計画を提案した。画期的な提案を求めるというJR西日本からの要請だったが、結局私たちの提案を採用しなかった。このダメージはSKBの体力・気力を大きく削いだ。
一方、5年にわたって取り組んで来た「丹波並木道中央公園」プロジェクトは部分開園を迎えたが、確実と思われた指定管理者選定に破れ(’07)、ここからも去らねばならなくなった。「御前浜周辺環境整備計画」は地域住民の活動が軌道にのり出し、海辺をまもり・つかい・育てる自主的な組織づくりに発展していった。また海岸環境の新たな整備をめざす防潮堤改修計画も諸々の難問を越えてようやく実現の見通しがたってきた。
‘06年頃から、SKBの未来について深く考えるようになっていた。ソフトとハードをつなぎ、地域の可能性を文化的な視点から引き出し活用することで、地域にとって、社会にとって意味ある環境をつくる手助けをしたい、そのキーとなるものに「アートの持つコミュニケーションするチカラ」を活かしたい。そのような強い思いをもって取り組んで来た。私たちが試みたことはささやかだが、この33年間、自主独立で信じることを貫き通せたのは多くの人々の理解と協力、そして優秀でタフなスタッフの力による。そのことを何より誇りにしたい。