1975〜1977年
hashimoto [ アーカイヴ ]
スタートの3年間は全部で18本の仕事。初めて依頼された仕事「紀伊半島下北山村現状調査」は、知人の造園コンサル事務所の所長が独立のお祝いに発注くださったもの。奈良県の最南端の小さな村の林業関係と村の生活調査。その後、仕事に悩むとこの村を訪ね、原点に帰って心を鎮めた。
商品開発のマーケティングから、建築計画の基本構想のアイディアづくりなどなんでも引き受けたが、特に印象深いのは「コミュニティ銭湯」の調査(‘77)。当時自主研究として銭湯研究をしていた私は、衰退業種の代表と言われていた銭湯がコミュニティの核として重要な役割を担っていることを論文に書いていた。この調査によって、その後のニュー銭湯ブームの先駆けとなるホールのあるコミュニティ銭湯誕生へと展開することになる。
また、京大・米山先生に誘われ、「天神祭の研究」(’77)にも参加。学生気分に還ってヒアリング調査の一部を担当。仕事が少なかったこともあり、遊びか仕事か境界線がない状態で過ごすことで多くの人に出会い、学ばせて貰った。遊びと仕事がシームレスというスタイルは、その後のSKBの基本的な姿勢にもなってゆく。